エッセイ集(E) (第13~15話)

 

人生には辛い事も悲しい事も多いが、喜びも多く、感動もあり人間の一生は素晴らしい一片のドラマの様だ。全ての人に感謝し、祖先に感謝、宇宙の神々への畏敬と感謝は一時も忘れない。・・・・・・・・・・・第16話~第18話 (更に続く)・・・・・・・・・・

第13話 望郷のアルジェリア

アルジェリアの建設現場で無謀なテロリストの襲撃を受け、無実の日本人スタッフが10人も殺害された事件(2013年1月)に、限りない怒りを感ずると共に、犠牲になった故人のご冥福を心からお祈りしたい。

僕も1970年代後半に、アルジェリアを含めた北アフリカや紛争の絶えないアラブ諸国を各種プロジェクトを追って、頻繁に歩き回っていた。

この頃は観光する時間も無くとんぼ返りで、日本との間を往復していたので、多くの文化遺産も見過してしまった。

しかし、アルジェリアはフランス映画の「望郷」で主演のジャン・ギャバンがフランスから逃亡し警察から執拗に追跡されていたギャングのペペ・ル・モコを演じ、アルジェの貧民街カスバで潜伏して居た場所である。ペペ・ル・モコもこのカスバで出逢ったフランスの女性に一目惚れし、その女性を追って港に出た爲に、遂に警察に逮捕されてしまうのだが、船に乗ってフランスに向かう女性の目の前で御用となるラストシーンが名場面で涙をそそる。又、日本では哀愁のこもった歌謡曲「カスバの女」がカラオケなどでよく歌われていた。

そんなことから、好奇心がつのり、仕事の合間を割いて、カスバの裏町を一人で散策した。「ここは地の果てアルジェリア、どうせカスバの夜に咲く酒場の女の薄情け・・・・」と口ずさみながら。

裏町とはいえ、望郷にしてもカスバの女にしても薄汚れた街にも多少のロマンチックなイメージを抱いていたが、全く期待外れの散策となった。土塀に挟まれて人が一人やっと通れる様な坂道がくねくねと迷路の様に延々と続く。糞尿の様な悪臭を発して、迷路の至るところからチヨロチヨロと漏れ出している。臭い。ロマンチックなイメージは吹っ飛んでしまった。早くこのスラム街から脱出しようと慌てたが、迷路は狭く

デコボコ道が続いた。やっとの思いで、多少広い道に出たが、またもやビックリする光景に出合った。肉屋の店頭には、不気味な羊の生首がずらりと天井から吊るされて売られていた。ギョッとする見慣れない光景が続いた。

速足で街中を通り過ぎ、やっと幅の広い階段に出た。当てもなく広い階段を登りきったら、パッと紺碧の海原が眼前に拡がり、オーと呟いた。

裏町のイメージとは対照的にパッと目が覚めるような素晴らしい光景が出現した。紺碧の澄んだ海原を背景にエキゾチックな真っ白な家並みが眩しい程であった。嘗てはフランスの植民地であったので、イメージは一変して、遠景は素晴らしい映画の一場面が目前に広がって美しかった。気分を取戻し、ホテルに戻り早めの夕食を取ることにした。ホテルの近くに前から気になって居たこじゃれたレストランに入る事にした。ギャリソンが今日は上等な赤ワインが入ってますと言って、マスカラ丘陵からの赤ワインを勧めた。僕は酒は殆んど嗜む程度だが、赤ワインは芳醇なカベルネ・サヴィニョンを好んで飲んだ。

それにしても、イスラム国で禁酒とのイメージを持っていただけに、ワインが飲めるのは救いであった。

モロッコ、アルジェリア、チニュジア、リビヤ、エジプト等の北アフリカ諸国は、イスラムの国であっても、地中海文化の恩恵もうけ、フランスやイタリア、英国などの植民地時代の文化の流入もあり、アラブ諸国とは異なった文化圏を形成していることを実感した。しかし、安心は禁物である。

アラブ過激派によるテロ行為は、比較的穏健で安定しているアジアのイスラム諸国にもジワジワと浸透して居るので、映画や歌のロマンチックなイメージは、持ち込まないのが賢明である

第14  シリア―アレッポ出張の思い出
 

 シリアー忘れられぬ思い出

 1970年代後半に中近東のイラン、イラク、シリア、レバノン等のプロジェクトの掘り起しで頻繁に出張した。中でもシリアでは、同僚がレバノンとシリアの国境を真夜中に車で移動中に吹雪に遭遇し、動きが取れなくなり、峠で日本人駐在員の仲間が凍死する事件が起きた。中東と云えば、イメージ的には雪とは縁遠く思われているだけに大変なショックを受けた。その駐在員は、レバノンに駐在し、シリア市場も担当していて出張先のダマスカス市には、心を許しあった美人のシリア女性がいたので、真夜中の峠の道を急いで彼女のいるダマスカスに向かっていたのだろうと思うと同情を禁じ得ない。

 さて、昔からこの地域とのビジネスは「レバシリ」と呼ばれるしたたかな商売上手な人種が多く、彼等との商売をする際はそれなりの注意をして臨み一刻も気が抜けない。この頃、ダマスカスからアレッポ迄は360キロも離れており定期航空便もなく、タクシーで行くしかなく約45時間がかりの長旅だった。

好奇心旺盛な僕は、移動の途中は眠らずにしっかりと道中をキョロキョロしていることが多かった。地中海に面した海岸をとうり過ぎる時、大きなドラム缶から湯気が立ち上っていたので、何をしてるのかと思い覗いてみたら小エビを茹でて新聞紙で作った袋に入れて売っていたので、早速

買ってタクシーの中で食べたら、非常に美味かった。冬のパリの路上で打っている、焼き栗を思い出すなどして、道中を楽しんだ。

移動中に川の橋にさしかかると二人の子供が両手に魚をぶら下げて売っている光景に出会うが、旅行者はその川から取れたての新鮮な魚と勘違いして買ってしまうと云う。実はその川では魚はとれず、勘違いした方が悪いと云うことになってしまう。勿論子供たちは勘違いして呉れることを

期待して橋の上で打っているのだからしたたかな人種と云われても止むをえないであろう。

タクシーで一時間ほど走ったところで、運転手がお祈りの時間なので、10分程お時間を下さいと云って小さな絨毯をもって外に出て、メッカの方向だろうと思われる方向に向かって熱心にお祈りをした。

タクシーの運転席に戻って再びアレッポに向かって走りだしながら、丁重に時間をとらせたことを謝罪しながら、貴方の宗教はなんですか?と質問して来た。

僕はキリスト教でも、ましてや回教でもないし、敢えて言えば仏教とは思っているが、子供が七五三の時は神社にお参りにいったり、正月には神社に家内安全等でお参りに行くので仏教とも神道とも云えないと思ったが、複雑な説明を避けて取敢えず墓参り等でほぼ定期的にお寺に行くことを考えて「仏教だよ」と答えて置いた。そうしたら運転手の反応は「それは素晴らしい」と,彼にとっては、異教徒の筈の僕にたいして尊敬の念をもって応対した。

その運転手の弁では、宗教は何であれ何かを信じる対象を持っていると云う事が重要なのだと、思いがけないコメントを頂戴し、続けて「昨日のアジアからのお客さんに同じ質問をしたら、無宗教だと聞いて驚いた」と述べて無宗教を軽蔑するようなことを言い出した。

僕はそれを聞いてやれやれと安堵した。何故なら僕は彼の質問に対して回りくどい説明をするのも、やり切れないと思い、「特に決まった宗教はない」と一瞬答えようかとも考えただけに仏教と答えてよかったと胸を撫で下ろした次第だ。

此のタクシーの運転手の言動を目の当たりにして、僕の通常のイスラム教のイメージはよくなったと思う。

所で僕は何回かアレッポを出張で訪れた経験があるが、アレッポに製鉄所があるとの記憶がないので、多分時の現地有力者が胸算用で計画したものが当時の弊社幹部に話された時点での、事前調査ではなかったのではないかと思う。それにしても、大掛りな事前調査で、僕は製鉄事業は各種基幹産業を支える要であることを強調して、熱弁を奮ったと云う記憶しかない。この頃、日本では、新日鉄の稲山社長が「鉄は国家なり」と口癖のように主張していたことを思い出す。

ダマスカスでは、イスラム教とキリスト教が共存している事実を目の当たりにして驚くことが多かった。ウマイヤドモスク内に、キリスト教徒洗礼用の井戸があるのにも驚いた。

ダマスカス市の光景は、未だに古代の街並みの様に家が立ち並び僕が頻繁に出入りしている時は高層ビルは一つも見当たらなかったし、何百年も前に立てられたと思われる様な土嚢の家に現代人が住みついて居るのも驚きであった。聖パウロの目からウロコが落ちて目が見えるようになったのもこの地域ではないかと思われる様な街並みが続いた。キリスト教の教会が地下に隠れるように今でも存在しているのも、意外なほどであった。

又、一仕事終わって宿泊しているホテルに戻った際、フロントの横で、非常に困った様な顔をして座り込んでいる青年を見かけた。日本人の様な気がしたので、「何かお困りですか?」と尋ねたら思いがけない日本語で話しかけられたので、ビックリした様子でだった。

事情を尋ねたら、ホテルを予約して来たのだが、どの部屋も一杯で断られ途方に暮れている事を知った。僕の部屋は、ツインベットの部屋で、ベットが一つ余っているので、嫌でなければどうぞと云ったら、大変な喜びようで、「助かります!」と云って僕の部屋に泊まり込むことになった。何度もお礼の言葉を頂き恐縮したが、困っている時は、お互い様ですと答えて心を静めて貰った。その青年は、日本でパイプタバコを吸うパイプを作ってこの地域の業者に卸している事を知ってこんな商品までも日本は外国に売っているのかと驚いた。

話は色々な事に触れて、パイプ売りの商人の中には、パイプの中に飲酒用のアルコールを忍ばせて当局の目を逃れて商売しているしたたかな、商人もいる事を知って更に驚いた。見つかれば厳罰に処せられると云うから、命がけの商売だと云う。

後日談ですが、このパイプ売りの青年は生粋の浅草気質の好青年で、翌年5月の浅草三社祭に僕の家族を全員招待してくれた。その青年は、浅草の有力な地区の大幹部で勇壮な本場の祭を初めて経験出来て楽しい時を過ごさせてもらいました。

昔から“縁は異なもの味なもの”と男女の仲のキッカケを云った諺があるが、人の縁は男女の縁のみならず、男同士、女同士であっても有り得る人間関係の良い始まりだと思った。

第15 ザィールの 「黒薔薇」に想いを寄せて

暑い夏がやって来ると若い時のザイール(現在のコンゴ民主共和国)での

甘酸っぱい経験が思い出される。

僕が南アフリカに駐在し、日本企業のザイールの銅鉱山のフォローアップも兼務している時の事である。同国はモブツ政権の時代で、政治は腐敗し、内乱は起こるし、兵隊さえも辻強盗をする有様であった。銅鉱山は首都のキンシャシャから飛行機で東に1時間程のルムンバシの近郊にあった。日本の銅山開発会社が銅鉱山を開発して、産出した銅を日本に輸出していた。この銅鉱山の開発の為、付近には輸送用の小道が幾つか作られて

小道には「東海道」とか「中山道」と母国日本に想いをよせて日本名が付けられていた。此の銅鉱山開発会社に僕が勤務していた日本の総合商社が協力していたので、南アフリカのヨハネスブルグ支店から僕が定期的にルムンバシに出張していた。

 鉱山の訪問と長い打合せが終りホテルに戻った頃は既に夜の10時を過ぎていた。疲れ切っていたがすぐには眠る気になれず、ホテルのバーでカクテルを1杯飲むことにした。バーは人けも無くガランとしていたが、カウンターの隅に3人の黒人女性がたむろして居た。

珍しい光景だと関心を持ち、よく見たら、3人とも身なりも良く、スタイルも抜群に良いので驚いた。見慣れたずんぐりとした黒人女性とは思えない。何者かと俄然気になった。一瞬、ホテルの客を相手にしている客引きの女性かとも思ったが様子がおかしい。時々、僕の方に目をやるが直ぐに女同志の話に夢中になって居り、獲物を捜している様子でも無い。  何者だろうと益々興味を惹かれた。

暫くすると、2人の女性は残った1人の女性に別れの挨拶を交わし、先に帰ってしまった。あれれ、どうなっているんだと益々気になった。

残った女性はしきりに時計を見ているが何も進展がなさそうだ。そこで、僕はバーテンに目配せをして、彼女が飲んでいたのと同じ飲み物を僕からのおごりとしてあげて欲しいと頼んだ。バーテンが僕の方を指差しながら笑顔で追加のグラスを差し出した。女性は僕の方にニコッと会釈をして、グラスを口にした。

暫くしてから彼女が近ずいて来て、隣に座ってよいかとことわって並んで座ることになった。既に12時近くになっていた。こんなに遅くなって彼女はどうするのだろうと思っていたら、迎えに来る人が来ないで困っている。歩いて帰るのは夜は危険がいっぱいで怖いと云う。彼女は恐る恐る翌朝の日の出の時間迄部屋に泊めてもらえぬかと懇願して来た。

 僕は戸惑いながら、ひょっとするとこれは巧妙な商売女の手口かもしれないと身が構えた。僕はその気も無いので、とっさに断ろうと思ったが、身なりからも話すしぐさもからもとても商売女とは思えない。ザイールの一般語はフランス語であるが、フランス語の訛りがあるがしっかりとした英語を話すので高い学歴も想像出来た。彼女は明るくなったら朝早く家に歩いて帰れるので、それまででよいので助けて欲しいとしきりに懇願した。

不安におもいつつも結局了承してしまった。彼女にはベットを使ってもらい僕は床に予備の毛布を敷いて寝ることにした。しかし、彼女は執拗に自分が床に寝るので僕はベットに寝て欲しいと譲らなかった。口論の末、結局、大型のダブルベットに二人で休もうと云うことになってしまった。

僕は寝てる間に金品を盗まれるかもとも疑ったりして、なかなか眠れなかった。

彼女もなかなか眠れないらしく、次第に身の上話を始めた。父親は学生時代に事故で亡くなり、自分は卒業と共に軍人と結婚したが、暴力が激しく生傷や打撲傷が絶えなかった。離婚も出来ず暗い毎日を送っていたが、彼も1年ほど前の内乱で殺され、今は2才になる娘と母親と3人で生活しており生活はとても苦しいと云う。

自分は今、事務員をしながら、イベントのプロモーションのアルバイトをしながら生計をたてており、今日もアルバイトの帰りだが、仕事仲間と話し込んでしまい、帰りが遅くなってしまったと云う。

亭主の暴力の話を涙を流しながら話続けた。傷ついた太ももや腕を見せてくれたが、酷い傷跡に唖然とした。彼女は未だ20代と思われたので、再婚してやり直したらと慰めるしかなかった。しかし年をとってしまって再婚は難しいと、悲しい顔をした。僕は勇気づける積りで、何を云うのだ、花でも一年に何度も綺麗な花を咲かせるものもあるし、春に咲く花も在るし、秋や冬に咲く花もあり、季節に関係なく咲く花はいつも美しいと励ました。突然彼女は、僕の胸に顔を埋めて号泣した。

僕の人生で始めて黒人女性の肌に触れ合った瞬間であった。肌は驚く程、冷たかった。

それでも用心して、寝てる間に金品を盗まれてはならないと、眠らずに頑張っていたが、いつしか眠り込んでしまった。

翌朝、物音に気付いたら彼女が帰り支度をしてそっと部屋から出て行くところだった。僕は寝たふりをして、何か持って行かれないように薄目を開けて見守った。

彼女はハイヒールを手に持って、音を立てて僕を起こさぬように裸足でドアに向った。何も取らないと思って安心していたら、ドアのところで立ち止り、ベットに引き返えして来た。アッやっぱり僕の上着から財布を抜き取るのかと、寝たふりをしながら構えた。しかし彼女は何も取らず、寝ている僕の頬に長いキスをしてそっと出て行った。

一晩中疑っていた僕が恥ずかしくなった。彼女の幸せを祈りつつ薄目で見送った。

夏になると思い出される。